院長 上甲  宏



自己紹介

 自己紹介の始めにまず、上甲(ジョウコウと読みます)という姓ですが、両親が水戸市に来る昭和31年まではたぶん茨城県には無かったのではと思います。もともと父の出身の愛媛県には多い姓ですが、なかなかジョウコウと読んでくれる人がいませんでした(愛媛県宇和島東高校、のちに愛媛県済美高校が甲子園で活躍し、親戚ではないのですが上甲監督がテレビや新聞に紹介されたので、ちゃんと読んでくれる人が増えました)。
 昭和30年に神奈川県の相模原市で長男として生まれ、その翌年に水戸市に転居しました。昭和32年に父が医院を開業し、水戸人となりました。茨城大学付属小学校同中学校から水戸一高、そして東京医科大学へと進みました。学生時代は、中学よりスキーに熱中し、大学時代は身長が低いにもかかわらずバレーボールを6年間やりました。 その大学時代5年生のとき父を亡くし、医院継続のため医師を派遣していただいた東京医大茨城医療センターの外科に卒業後入局し、一般外科、消化器外科、救急医療に研鑽し、昭和60年国立がんセンターに研修出張後、現在の地で開業するに到りました。
 同年、胃癌に関するテーマで医学博士の称号を得、その他、日本医師会認定産業医、日本体育協会認定スポーツドクター、日本消化器内視鏡学会専門医等を修得。 現在の地で開業したのは昭和60年4月で、20代での開業でした。まだ独身でしたし、地元のひとたちとの交流もあまりなく、どうなるかと不安ばかりのスタートでしたが、父と親しくしてくださった方々の協力で順風満帆とはいかないまでも、30年を過ぎました。外科、内科で開業しています。
 そのほか、平成26年7月までは、医師会活動として、水戸市医師会会長、茨城県医師会代議員会副議長、茨城県医師協同組合副会長、茨城県有床診療所協議会副会長、茨城県メディカルセンター評議員、水戸市健康づくり推進協議会会長、水戸市高齢者保健福祉推進協議会会長、水戸市障害者施策推進協議会会長、水戸市要保護児童対策地域協議会代表者会議会長、水戸市学校保健会会長、水戸市介護認定審査会部会長、水戸地区救急普及協会会長などもやらされていましたが、水戸市医師会長を辞めましたので、宛て職は無くなりました。
 外部団体として、40才までは水戸青年会議所にも所属し、その後、水戸東ロータリークラブ水戸21の会七志会エスカルゴの会、NPO組織「茨城の暮らしと景観を考える会」などに所属しています。水戸東ロータリークラブでは、2015-2016年度会長を務めさせて頂き、大学関係では、東京医大同窓会茨城県支部会長を仰せつかっています。
 医療情勢きびしいなか、地方における医療政策や保健、福祉等に我々がどのように取り組んで行けば良いか、どのようにすれば道が開けるのか、御意見をお待ちしております。


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